2021年7月9日金曜日

『MAO』第100話「呪い移し」の感想と雑談

  (この記事は、2021年7月9日にfusetterに書いた文章を写しました。週間少年サンデー32号に掲載された『MAO』第100話「呪い移し」のネタバレを含みます。)

『MAO』第100話「呪い移し」の感想と雑談です。

冒頭で、戦闘中の摩緒が乙弥に形代をよこすように命じます。乙弥はトランクから形代をとりだし、摩緒に向かって飛ばします。

お札や形代が風を切る描写を見るたびに思うのは、あれほど薄い紙を勢いよく飛ばすのは、やはり一般人には無理だろうということです。たとえば、術の勉強をしていない菜花が同じように形代を飛ばそうとしたら、そう上手くいくでしょうか? 妖の力が発現した菜花になら、あるいはできるかもしれません。

乙弥は、以前に百火のために白眉の術を破ったことからわかるように、ある程度の術を使えるようです。MAOの設定では、式神も自律的に動き、感情を持ち、かなり強いようですね。摩緒は乙弥に自身の死後の処置を命じていましたし、実際、令和の時代でもフナはピンピンしているので、主人が死んでもなお(式神の本体さえ壊れなければ?)動き続けるようです。

菜花に聞かれて、乙弥は形代を使う意図を説明します。摩緒が刀の呪いを形代に移そうとしたことを、乙弥は説明されずとも理解しているわけですね。一方菜花は、乙弥の説明の途中で、「わかった」と言うなり叶枝に向かって駆け出し、叶枝が握る繁栄の刀を奪い取ろうとします。菜花は、叶枝が繁栄の刀を手放せば彼女を呪いから解放できると踏みました。

菜花がなにを「わかった」のか、よくわかりません。自分の理解に飛びついて、すぐに行動に移してしまうところが、いかにも菜花らしいと思います。菜花は、妖や呪いを怖がるのに、戦闘中に突然物怖じしない動きをすることがよくあります。彼女の魅力のひとつであるとともに、こういう子が本当にいそうだと感じさせてくれます。人間の性格は単純ではありませんから。

菜花は叶枝を突き倒して刀を奪い取りますが、摩緒は「刀を捨てろ菜花!!」と叫びます。菜花が飛び出たせいで話がややこしくなりました。形代へ呪いを移し終える前に菜花が介入したため、刀の中の呪いは叶枝への執着をなくし、今度は菜花を狙います。菜花の手から刀の柄が離れなくなりました。

珍しく、びっくりマークを2つけて叫ぶ摩緒先生を見られました。高橋留美子先生の漫画は、吹き出しの形で声の強さを表現し、「!」「!?」をあまり多用しないように見えます。菜花を心配して必死になる摩緒の姿に心が温まりました。 摩緒はこの後になにが起きるかを即座に正確に予測して、菜花に対して警告を発したわけで、経験の重みを感じます。 刀を払い落とそうと決めて菜花に向き直る摩緒の姿も、とても格好良いです。

菜花の手から取れなくなった刀は、摩緒へと襲いかかり、迎え撃とうとした摩緒に斬りつけます。摩緒の右腕から血が飛び散ります。

この場面で摩緒がケガをしたのは、意思を持って動く刀と、それを止めようとする菜花の力で、想定外の太刀筋になったからでしょうか。それとも、刀を握った相手が菜花なので、彼女を傷つけないように注意しながら攻撃を防がねばならず、技術的に難しかったのでしょうか。もし、斬りかかってくる菜花に動揺しながら対応したせいであれば、私の心がとても温まりますが、きっと違いますね。摩緒先生はいつも冷静です。紗那さまに関すること以外では。

摩緒の血を受けた刀を握ったままの菜花は、なにかが菜花の中に「流れこみかけて引っこんだ」と感じます。刀は、摩緒の血がついた部分から焼けるような音を立てます。菜花は、摩緒の猫鬼の血が刀には毒なのだと推測し、「その毒が持ち手の私に流れこむ事を恐れた」と考えます。そして、菜花は「私の猫鬼の血も効くはず」と刀を握り込み、自分の血を吸わせます。

この場面が私には少しわかりづらかったので、整理したいと思います。

摩緒の血に触れたことで、刀に摩緒の血が流れ込んだ。刀にしてみれば摩緒の血は毒なので、外へと逃したい。刀が接しているのは菜花だけなので、刀は血の毒を菜花に流しこもうとした。しかし、摩緒の血自体が菜花の中に入ることを拒んだ。その結果、流れる先を失った毒は刀の中にとどまり、焼けるような音を立てた。そこにさらに毒である血を菜花が追加で吸わせた結果、刀が許容できる量の上限を超えて毒が入り込み、刀は菜花にとりすがる力をなくして、菜花の手から離れた。

上記で合っているでしょうか。読解に自信がないので、別の解釈をされた方は、お考えをぜひ聞かせてください。

摩緒の血が菜花に入るのを「恐れた」という表現が面白いです。あくまでも菜花の述懐なので正確とはかぎりませんが、本当に「恐れた」のでしょうか。それは猫鬼の感情なのでしょうか、それとも摩緒の感情なのでしょうか。菜花に流れる猫鬼の血の力のほうが、摩緒の猫鬼の血よりも強いから、中に入ることを恐れたのでしょうか。摩緒は菜花から血をもらっているのに、逆にはなにか不都合があるのでしょうか。このあたりの謎の吸引力が素晴らしいですね。

暴れる刀は摩緒によって無事封じられます。摩緒は、「危ない橋だったぞ」と菜花に言い、わかっていない様子の菜花を見て、ため息をつきます。

摩緒は、以前に百火から菜花の教育がなっていないと言われたことを思い出しているでしょうか。摩緒はもう少し積極的に菜花を指導してもよいと思います。900年以上生きているのに、摩緒はそういった面では未熟です。長年軍隊を率いていた白眉が、双馬に対して素晴らしい指導力を見せたのにくらべて、ワンマンで医者と陰陽師業をやってきた摩緒は、人の育成があまり得意ではないのかもしれません。摩緒にはぜひ菜花を導く中で、900年生きてきて初めてという体験をいろいろと重ねてほしいです。

事件の締めくくりに、摩緒が叶枝の記憶を抹消します。

摩緒が他人の記憶を操作する様子が明示的に描かれたのは、これが初めてではないでしょうか。この場面を読んで、いつか摩緒が菜花の記憶を消してしまわないか、ふと心配になりました。摩緒は優しいので、つらい記憶が菜花を苦しめる可能性があれば、厚意から記憶を消すくらいはしかねないと思います。摩緒が叶枝の記憶を消す時の言葉も、「忌まわしい事はすべて忘れなさい。もう大丈夫です」です。菜花にかけても不思議ではない慈悲の言葉です。でも、ともに困難を乗り越えた相棒の記憶は、ぜひいじらずにいてほしいですね。杞憂だと思いますが、作品の仄暗いトーンがこういった心配をさせるのです。それも含めて物語の魅力ですが。

次回に続く場面では、摩緒と菜花、乙弥の三人が、狐の顔をした妖が店番をしている金物屋さん「冥命堂」を訪れます。布とお札で厳重に覆った繁栄の刀を持ち、摩緒は「どう処理すべきか、専門家に聞いてみないとね」と言い、菜花は「摩緒でもわからない事あるんだ」と言います。三人が歩く狭い通路には、桶や酒瓶が軒下に並んでいて、どうやら裏通りのようです。「外来者出入禁止」と札のある入口から中に入ると、金物屋の中には狐顔の女性が店番をしていました。彼女は煙管を吸いながら、「お久しぶりです」と摩緒に言います。摩緒は、店主は在宅かと問います。

摩緒はなんでも知っていると思っていたかのような、菜花の素朴な(適当な)セリフが良いですね。菜花が摩緒を慕ったり憐れんだりするモノローグはよくありますが、摩緒の知識や経験の量を頼りにしていて、ちゃんと一目置いているようです。もしかすると、術を学びなさいといわれて渡された分厚い書物が、心の片隅で気になっているのかもしれません。

店番の狐と摩緒が、いつぶりに会ったのかが気になります。店の看板には「ナベカマ、包丁、ハサミ、錠前」と書かれていますが、日常使いの包丁をちょくちょく研いでもらいに行く場所のようにはあまり見えません。さらっと何十年ぶり、何百年ぶりの再開だったりするのでしょうか。「冥命堂」の冥は、冥界の冥。人間には見えない暗闇を意味します。表の商いと裏の商いがあるのかもしれません。

今回も面白かったです。次回も楽しみにしています。

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