2021年8月23日月曜日

『MAO』第105話「刀の主」の感想と雑談

この記事は、週間少年サンデー38号に掲載された『MAO』第105話「刀の主」のネタバレを含みます。

また、私は摩緒と菜花が恋人同士になるのを望むかのような発言をときどきしますので、そういった話題が苦手な方は読まないようにお願いします(高橋先生の作品は私にとってとても大切なので、公の場であまり下品な話はしないつもりですが、許容度は人によって異なりますので、念のため書きました)。

題材としての血のエロティックさ

金物屋・冥命堂さんを訪れた摩緒たちは、地血丸が菜花の血を吸い尽くそうとしたことを報告します。冥命堂さんは、「それにしては嬢ちゃん元気だな」と菜花の様子を評し、乙弥は摩緒が菜花に血を分け与えたと説明しました。冥命堂さんは刀に紙のこよりをつけて、「自分の意思で刀を使え」るようになれと菜花に言いました。

摩緒からの輸血が成功して、菜花ちゃんが元気になってなによりでした。しかし、「つやつや」している菜花を見て、序盤から倒れそうになりました。摩緒から「すごくあたたかいものが体中に流れこんで」菜花の肌がつやつやに……。前回のお話を読んだ時の興奮が軽々と更新されてしまいました。高橋先生、ありがとうございます。

やはり血という題材自体がとてもエロティックなので、血が物語の中心に据えられているのはMAOの大きな引力のひとつだと思います。血に関係する現実世界の話題には病気や差別が絡むことが多く重苦しいですが、物語世界の血はメタファとして意味深く、魅力的です。

血は命があるかぎり体をめぐり続けるので、そっくり抜き出して他人の血と入れ替えることはなかなかできません。また、血は親から否応なしに受け継ぐものです。血には、自力で変えられない運命のような要素があると言えるでしょう。そのため、血を与えあう行為は宿命の共有を意味します。MAOではさらに、摩緒と菜花の血は猫鬼に呪われているという設定が、二人の結びつきを強調します。

その一方で、物質としての血は、皆が体に持っているけれど暴かれるまでは目に触れないという意味で、ほとんど性的とすら言えます。皮膚と血管を隔ててふだんは体内に閉じ込められている隠微さと、切れば表に噴き出して誰もに見えてしまう暴力性。そして、体の中にあってもなお皮膚を通して透けて見える特徴も忘れてはいけません。

MAOの輸血イベントは、宿命の共有が秘密裡におこなわれていると考えると、非常にエロティックです。吸血という装置を使わずに、ヒーローとヒロインの身体を血が直接行き来する設定を作った高橋先生は、やっぱり天才だと思います。

ふたつの夜

摩緒と菜花が輸血をそれぞれ回想する、ふたつの夜の場面は美しいです。ページを縦に割った大正の満天の星空と、ページを横に割った令和の控えめな星空の対比は、そのまま摩緒と菜花の心象のようです。摩緒のかたわらには乙弥がいて静かに言葉を交わしていますが、菜花の心が話す声を聞いているのは菜花自身だけ。菜花の心は摩緒で占められているのですね。がばりと起き上がったかと思えば、布団にもぐり直してブツブツとつぶやく菜花が可愛いです。本当に元気そうですね。摩緒先生はもう髪をほどく気力もないほどお疲れのようです。でも、乙弥くんには「少し疲れた」とだけ言うあたりが、摩緒先生らしいですね。

今回の菜花は血をもらう側だったからでしょうけれど、輸血イベントが恋愛のスパイスくらいの能天気さで回想されていて笑いました。摩緒のほうは、血を与えた時の恐ろしい感覚を思い出しながらも、結果として自分に起きるかもしれない報いよりも、菜花のことを真剣に思いやっていて、本当に心が温まりました。摩緒はやはりとても優しいですね。しかし、一度も強いたわけではないのに、「あんな事をさせていたのか」と反省するのは、何事も自分に責任があると感じてしまう性格なんですね。彼の美点ですが、彼を大事に思う人たちにとっては、もどかしいことでしょう。

摩緒先生にはぜひ、菜花が摩緒に血を与えた時の「吸い取られるような感じ」(5巻第5話)を体験してもなお、「摩緒が元気出たならそれでいいじゃない」(同)と言いきり、「またケガをしたら私の血をあげるよ」(同)と申し出て、実際にそうした(6巻第3話)ことも思い出してくれているといいなと思います。菜花は、自分の血が摩緒を危機から救えるのならば、ずっと摩緒のそばにいてあげたほうがいいのかとすら考えていました(5巻第2話)。菜花の摩緒への愛と献身は、摩緒が理解している以上のものだと思います。

ところで、摩緒に血を与えた時に菜花は失神していましたが、摩緒は菜花に血を与えても失神しなかったようです。摩緒先生のほうが菜花ちゃんよりも強いからでしょうか? 今後、菜花ちゃんが強くなっていったら、試合中にハイタッチするくらいの感覚で輸血できるようになったりするのでしょうか。なんだか登場人物の大怪我を期待するようで気が引けますが、次の輸血イベントも楽しみです。

双馬と蓮次

今回のお話の後半には、白眉のもとで目を覚ました双馬と、摩緒を連れ去るために不知火から再び派遣された蓮次が登場しました。

同じ敵役でも、双馬と蓮次はかなり違う描かれ方をしていて面白いですね。蓮次のほうが美形に描かれているというのは置いておいて、義の有る無しも違います。蓮次は摩緒たちと敵対はするものの、童子に乱暴をはたらいた女衒を成敗し、娼妓に小遣いを差し入れるように、他人のために行動するヒーローでもあります。一方、双馬が見せる獣への憧憬と執着はあくまでも彼個人の欲望にすぎず、いくら向上心があっても彼はヒーローになりえません。

双馬という登場人物は、なにを象徴しているのでしょうか。「獣を操りたい」というのは、自分の能力を伸ばし、特別な人間になりたいという欲望です。双馬が象徴するのは、何者かになるためなら手段を問わず、他人を愛さない人間なのでしょうか?

双馬は、家族の命よりも自分の欲を上位に置いています。もちろん、双馬は「家」の因習に囚われた被害者でもあります。加神家に伝わる獣を先祖代々の土地のようなものと考えれば、獣に対する彼の責任感も理解できなくはありません。しかし、加神家が獣とともに繁栄することが彼の第一の願いなら、弟たちのほうが双馬自身よりも出来が良い場合に、双馬は獣を渡すこともやぶさかではないはずです。しかし、双馬は「渡すものか」と、あくまでも自分で獣を使うことにこだわります。いざ弟たちへ獣を譲れと白眉にいわれた時、弟たちを害そうとしないか心配になるほどです。また、双馬は一馬に刀を向けた時も、兄を手にかけるためらいよりも、獣を受け継げる興奮のほうが勝っているように見えました。選べといわれれば、双馬は家族よりも獣を選ぶでしょう。

また、傀儡の針を摩緒に刺したように、自分の欲のために恩人を裏切ります。さらに、「白眉に命令されれば、きみは見知らぬ人を殺すか?」と摩緒に聞かれて応と答えたように、倫理よりも欲望優先です。双馬は「それで(白眉の)役に立てるなら」と言いますが、彼が白眉に忠実なのは白眉が獣の扱い方を教えてくれたからです。双馬は、獣を上手く扱いたいという欲望にどこまでも目がくらんでいるように見えます。

白眉ほど人の心の機微に敏くない摩緒は、8巻第10話で述べているように、双馬の獣に対する憧れの強さを見逃しました。双馬は摩緒の強さに憧れの気持ちを示していたので、摩緒がもし、獣にかかわってはいけないと頭ごなしに言うのでなく、上手く制御できるように指導してやるというような言い方を選んでいれば、白眉の側につかなかったかもしれません。御降家の手先になってしまった双馬を見て、摩緒は自分の対応に落ち度があったと感じながら対峙していることでしょう。摩緒のためにも双馬は最後には救済されてほしいと思います。

今回、蓮次の生い立ちが少し明かされました。「もらいっ子の家で苦労した」そうで、蓮次は孤児だったのですね。MAOのヒーローとヒロインには、両親がいないという共通点があります。蓮次もまた、ただの敵役の一人ではなく、物語の中で大きな役割を果たすかもしれませんね。

次回

あっという間に菜花が次のピンチに陥って、目が離せません。摩緒先生は前回簀巻きにされていたので、今度は大活躍するのを期待しています。

今回も面白かったです。次回も楽しみにしています。

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