高橋留美子先生の『MAO』の主人公である摩緒は、作中の別の登場人物である蜘蛛女いわく「美男子」(1巻第4話)です。しかし、摩緒は顔に自信がある素振りを見せませんし、容姿を武器にした交渉もしません。それどころか、摩緒は人の美醜に一切言及しません。
摩緒の側にいる主要な登場人物で、人の外見にコメントしたことがないのは摩緒本人だけです。たとえば、百火は紗那を「そりゃあ綺麗で」と形容し、華紋は幽羅子を「麗人だね」と言います。菜花ですら例外ではなく、真砂の美しさを想うモノローグがありました。
摩緒は少年漫画の主人公にもかかわらず、女性の見た目に対して(というより、すべての人間の美醜に対して)徹底的な無関心を貫いています。これは意図的な設定だと思います。そして、摩緒の魅力の一つでもあるでしょう。
これまでに登場人物が他人の外見について触れた台詞を見てみましょう。
- 菜花の級友「菜花って見た目速そうなのにねー」(1巻第1話)
- 蜘蛛女(摩緒について)「お連れの陰陽師さん…美男子ですわねぇ」(1巻第4話)
- 乙弥「菜花さん、ちゃんと初心な女子学生に見えますよ」(1巻第8話)
- 種彦(貂子について)「こりゃあいい女だ」(3巻第9話)
- 百火(紗那について)「そりゃあ綺麗でやさしくて」(5巻第6話)
- 乙弥「菜花さんかわいいですよ」(5巻第8話)
- 華紋(幽羅子について)「麗人だね」(5巻第8話)
- 朽縄が身を寄せる貴族の家のお嬢さん(摩緒について)「お友だちも美男子だわ」(7巻第5話)
- 菜花「真砂さま…綺麗な女(ひと)だったな」(7巻第6話)
- 乙弥「菜花さんかわいい」(8巻第1話)
- 商店のおかみさん(蓮次について)「あらっ、いい男」(第92話)
(こうして並べると、乙弥の菜花への気遣いが顕著ですね。摩緒が他人から顔を褒められたのは2回です)
摩緒のセリフにもモノローグにも、外見に関する言葉は出てきません。もしかすると摩緒は、人間の表面的な美しさには、あまり価値をみとめていないという設定なのかもしれません。実際、彼が菜花を「かわいいな」(9巻第6話)と内心で評価するのは彼女の言動に対してであり、菜花が可愛らしい着物を着た時(8巻第1話)ではありません。
摩緒のこういった哲学は、彼の来歴から形作られたと思います。900年以上も生きていれば、美しい人間が老いていくのを数えきれないほど見たはずです。人間の外見の儚さを実感していることでしょう。また、彼自身が人からいくら容姿を褒められても、それが豊かな人生に繋がっていないのも大きいと思います(残念ながら、摩緒は現状で幸せな人生を送っているとは言いがたい状態です)。逆に、蜘蛛女のような妖につきまとわれたり、野盗になめられて襲われたりと、端麗な顔がもたらす負の影響のほうを多く経験してきたのではないでしょうか。
一方、人の外見の美しさに執着する人物として、作中に蜘蛛女と茨木種彦が登場します。蜘蛛女は美男子の首に卵を産みつける妖で、種彦は美しい女をさらってきては犯して殺す習癖をもつ人間です。蜘蛛女は菜花によって、種彦は華紋によって、無惨に殺されます。見た目の美しさへの極端なこだわりに対する、作品自体の否定的なメッセージをも感じます。
さて、現代の社会生活では、人を口説く場面や美容の話をする場面でもないかぎり、他人の外見については言及しないのが礼儀です(少なくとも私が生活している社会では、そういうことになっています)。褒めるにしても貶すにしても、他人の見た目に評価を下して、本人や周りに伝えるのは、野蛮なこととみなされます。人の外見に言及しない摩緒は、こういった社会規範に馴染む、非常に現代的な主人公として描かれていると思います。摩緒が女性ファンからの人気が高い理由の一つかもしれませんね。
(この文章はTwitterに投稿した内容(2021年8月14日)をもとに書きました。)
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