2021年8月30日月曜日

『MAO』第106話「駆け引き」の感想と雑談

この記事は、週間少年サンデー39号に掲載された『MAO』第106話「駆け引き」を含む、単行本に未収録の回のネタバレを含みます。

ここ数回の展開が神がかっていて、効果の強すぎる栄養ドリンク(蠱毒か?)を週に1本キメている気分です。高橋先生、ありがとうございます!

乙弥くんがすごい

今回のお話では摩緒先生がとても格好良かったですが、乙弥くんもすごく良かったです。乙弥くんは、やっぱりとても賢くて有能ですよね。その時その時にやるべきことを押さえていて感心します。蓮次に脅されて不安な思いをしている菜花の隣にぴったりついていてあげる、乙弥くんの優しさが沁みました。摩緒が連れ去られた後で、主人の意図を汲んで即座に行動するのも、荷物を漁りながら振り向きもせずに菜花へ的確な指示を出すのも、本当に頼もしいです。乙弥くんが特別に優秀な式神なのでしょうか? ペットの犬ではありませんが、式神は主人に似るのでしょうか? 背景を説明することも話を展開させることもできる、ツッコミ役のムードメイカー。彼一人で2.5人ぶんくらい働いてますね。

一連の駆け引き

摩緒が不在の診療所で、菜花は蓮次が放った苛火虫を体に入れられ、人質になりました。

菜花が手にしているのは袋に入れているとはいえ武器なのに、蓮次は人質の菜花に持たせたままでした。蓮次の余裕のある様子も、菜花の恐怖をいや増したことでしょう。直前の呪いの刀編で菜花は非常に勇敢だったので、今回の怖がる姿はぐっときました。かわいそう。でもかわいい。

帰宅して驚く摩緒に、蓮次は彼の雇い主である不知火のところまでついてくるように要求します。

帰宅した摩緒が蓮次をみとめた時の大ゴマの表情は、お見事でした! カバンを取り落とさなかったのが不思議なくらいの固まりようで、まさに言葉も出ない感じの動揺でしたね。MAOのシリアスな場面には、ちょっと手塚治虫先生っぽい丸みのあるタッチの摩緒がときどき現れます。たとえば、7巻第8話9ページ目の1コマ目にいるアップの摩緒や、8巻第9話15ページ目の2コマ目で飛びかかっている摩緒がそれです。このコマの摩緒は、その系統に近い絵ではないでしょうか。このタイプの絵柄は、重要なアクションシーンで肉体の躍動感を伝えてくれますが、今回は摩緒の心臓が跳ねている感じが伝わってきました。

蓮次は摩緒に、おかしなまねをすると菜花の中の苛火虫が発火するぞと脅します。

このコマも最高でした。MAOで登場事物の目の下に入る横線は死相なので、この時の摩緒先生はきっと死人と同じくらい顔色が悪かったのでしょう。蓮次の卑劣に怒り、菜花ちゃんを心配して顔色を失う摩緒先生に、本当に心が温まります。

摩緒は、抵抗はしないので先に菜花から苛火虫を出せと蓮次に要求し、拒否すれば蓮次をこの場で殺すと宣言します。蓮次は摩緒の本気を悟って、承諾しました。

この瞬間のために摩緒先生は日頃無表情だったのかしらと思うほど格好良かったです。それにしても、「〜〜しなければ、この場でおまえを殺す」は、完全に追い詰められた人間が放つ、一切の交渉を拒絶する駆け引きの言葉なので、摩緒はよく言ったものです。人質のハンデなしに勝負すれば、摩緒のほうが強いことを蓮次は理解していると踏んでの言葉ですよね。実際、蓮次は馬鹿ではないのでわかっています。摩緒が有利を引き出すために言葉を操ることは、過去に宗玄相手にもやっていて、初めてではありません。しかし、今回のような余裕のない状況では初めてで、美味しかったです。

菜花以外には明らかな摩緒の一面について

摩緒先生の「この場でおまえを殺す」発言は、蓮次よりも菜花に刺さったのではないかと思いました。なぜなら、菜花は摩緒の危なさを日頃は意識していないようだからです。摩緒は5巻第3話で殺し合いを嫌がっているふうですが、やらないわけではないのです。

考えてみてください。あれほど派手な向こう傷が顔にある男がカタギのわけがありません。縁者もおらず土地も持たず、得体のしれない摩緒は、医者であっても町の名士には決してなりえないのです。おそらく五行町の人々は摩緒を新しい住人として受け入れながらも、袋に入れた刀を持ち歩いたり、血まみれで帰宅したりする姿を見かけては、「あの若い先生、訳ありだな(近づかんとこ)」と内心思っているはずです。実際、摩緒は妖からの人望が厚いですが、第7話で診療所を開業してから第106話に至るまで、近所の人に直接手助けしてもらう場面は一度もありません。ご近所さんとは商売以上の交流や信頼関係をほとんど築いていないのではないでしょうか。なにがいいたいかというと、摩緒と二度しか会ったことのない蓮次や、摩緒と関わりの浅い近所の人々にとって、摩緒の物騒さは火を見るより明らかなのですが、菜花は摩緒の近くにいすぎるがゆえに、日頃はそれを忘れているだろうということです。菜花は摩緒の命を助け、摩緒に命を助けられ、おまけに恋までしています。摩緒の生い立ちを憐れみこそすれ、嫌悪感や警戒心はもっていません。だからこそ、今回の「この場でおまえを殺す」発言は、彼女にとって衝撃だっただろうと思います。

摩緒の言葉を聞いた菜花はどう思ったでしょう。"優しい" 摩緒にこんなことを言わせてしまった、と己の不覚を責めたでしょうか。自分が人質になったことで、見たことがないほど静かに真剣に怒っている摩緒に、どこか嬉しく思う気持ちもあったかもしれません。彼女がこの瞬間を回想する場面を見たいです。

拉致

後ろ手に縛られた少年が小舟に乗せられて白昼堂々連行されうるなんて、大正は治安が悪いですね。

蓮次の詰めの甘さ

蓮次が冷静そうに見えてちょっと口が軽いのが面白いです。菜花に苛火虫のはたらきを説明するのは脅し目的として理解できますが、御降家の秘術だなんだと教える必要があるのでしょうか。それに、不知火の用が済んだら蓮次が摩緒を殺す許可を得ていると、摩緒当人に告げてしまうのには驚きました。摩緒はもう抵抗できまいと舐めているのでしょうか。油断しすぎです。

摩緒の拉致方法としては、半殺しにして蠱毒とともに連れ去ろうとした蛟のほうが、よほど適切でした。蓮次のこの詰めの甘さは、邪悪な生業に不適格な性格を表現し、御降家と縁を切って更生できる可能性を示しているのでしょうか。

蓮次が摩緒から腕のことを聞かれて、「心配すんな」という言葉を選んだのは可笑しかったです。腕になんかちょっと植物の茎みたいなのが見えてますけど、くっついてよかったですね。

摩緒の優しさ

摩緒は、蓮次が御降家の商売には興味がないと言うのを聞いて、であれば御降家とは早く縁を切ったほうがよいと忠告します。

菜花を人質にとった相手にまで警告してあげるなんて、摩緒は本当に優しいですね。かつて真砂さまが御降家に入ったばかりの摩緒に警告したのを思い出して、胸が熱くなります。摩緒はもうこれ以上、御降家絡みで人が苦しむのを見たくないのでしょうね。今回の出来事についても、御降家に無関係の菜花を巻き込みたくないという強い思いがセリフの端々に見られて、摩緒先生らしさを感じました。

玄武

小舟で不知火のもとへ連れていかれそうになった摩緒ですが、(乙弥が手配したと思われる)式神の玄武が現れます。摩緒は妖の力を発揮して腕の縛を破り、玄武の力を借りて蓮次の月琴を破壊しようとします。蓮次は摩緒に、菜花の中にまだ苛火虫を残していると言い放ちます。

縛を破る摩緒先生を見て、蜘蛛女の糸を腕力で断ち切った菜花を思い出しました。妖の力はすごいですね。「ただの人間」相手なら負け知らずでは? 見開きの玄武も、術で戦う摩緒先生も大変格好良かったです。ところで、苛火虫は蓮次が月琴をかき鳴らした時に発火するようですから、バチを奪うだけでは妨害できないのでしょうか?

ブラフかブラフでないか

蓮次の発言はブラフと新井さんがtweetされていたのをみて私も考えたのですが、蓮次の人物像を私はまだよく理解していないので、彼の言動から推し量ることはできませんでした。

が、別の理由で、蓮次の言葉がはったりの可能性があると思います。摩緒が診療所に帰宅した時に凍りついたのは、蓮次と菜花を見た瞬間に、蓮次が菜花に苛火虫を使ったことを理解したからではないでしょうか。また、蓮次に菜花から苛火虫を出させた時の摩緒のほっとした表情は、実際に菜花から虫が取り除かれ、危険がなくなったことを知っていたからではないでしょうか。つまり、状況を把握するために蓮次の言葉だけをたよりにする摩緒先生ではないだろうということです。摩緒が安心したなら、菜花の安全は守られたのでは? それとも、蓮次が残した苛火虫は、摩緒も気づかないほど巧妙に忍ばされたのでしょうか。不知火によると、蓮次は苛火虫の使い手として逸材だそうなので、ありうるかもしれません。もしブラフなら、摩緒先生は大正時代しか生きていない青年の嘘に引っかからなかったことになって(読者に対する?)面目が保たれますし、蓮次も蓮次で、駆け引きでズルをするほどの邪悪な人間ではないということで、良い兆候です。

蓮次の言葉がブラフでなく、本当に菜花の中に苛火虫を1匹残していたとしたら、菜花が先日練習していた護身の印の伏線が回収されるチャンスかもしれません。 術を使って自力で苛火虫を追い出すことができれば、菜花はまたひとつ成長できます。術で闘う摩緒があれほど素敵なのですから、術で闘う菜花も格好良いに違いありません。もっとも、菜花さんは術に向いていないのですと賢い乙弥くんが再三言っているので、望み薄かもしれませんが……。

第102話で、菜花は「火の術は金の属性の虎より強い」と自力で気がつきました。五つの要素の相剋関係だけでなく、関係する動物も学び、知識を引き出しています。しかし、今回の菜花は水が火を剋することを忘れていて、乙弥から教えられています。動揺もあるでしょうが、彼女の未熟さが改めて示されていると思いました。

次回

不知火さまをそろそろまた見たいので、詰んだ摩緒が蓮次に連れて行かれてほしいです。前回の対不知火さまで摩緒はコテンパンにやられてしまったので、次はやり返すと思いますが、私は菜花ちゃんが(摩緒のために)不知火さまをボコボコにするのもいつか見たいと願っています。土は水を剋するということで。それに、摩緒先生が不知火さまの社で幽羅子さまと再対面するのもぜひ見たいです。

今回も面白かったです。次回も楽しみにしています。


2021年8月24日火曜日

About Hyakka as a name of the lonely boy

日本語

I'm just trying to explain a little bit more what I think about Hyakka as the character's name in MAO.

Hyakka is a beautiful name: a hundred of fire. Although his parents might wish a girl since he has seven old brothers, his birth should be celebrated as the birth of the youngest son in the family of fire magic. Now, all of them are gone. He himself remains alone... 10:23 PM · Aug 20, 2021

The naming of characters always matters. Some might think a name is just a name like a letter for math such as x, y, or z. Who, however, can deny the significance of the inspiration of naming a protagonist in a space saga Skywalker? Naming contributes to a story in various ways as a symbol, allusion, or connotation. So, Naming always matters. 

In MAO, written by Rumiko Takahashi, an older disciple of Mao, Hyakka (百火) has a beautiful name: a hundred of fire. The kanji of hyaku (百) for Hyakka is used to describe a situation in which there are many quantities, numbers, or types of something while it is used for the exact number of one hundred. So, his name means a lot of fire. 

Also, the sound of Hyakka is the same as a part of an idiom, hyakka-ryouran (百花繚乱). This ka for hyakka-ryouran uses a different kanji for MAO's Hyakka, which is flowers (花) instead of fire (火). This idiom, hyakka-ryouran means various types of flowers are blooming. So, imagine fire is blooming instead of flowers on a field or in the sky. That is what his name evokes. Just like launched fireworks, the name indicates the situation that a lot of fire with different colours is spreading around you.

Let's back to the meaning of the name. His family name, Ootori (鳳), means an imaginary male bird in China that may appear when a saint is born. A bird belongs to fire in the five elements philosophy, so it simply matches his family that utilizes fire magic. Although his parents might expect a girl since Hyakka has seven old brothers (Chapter 97), his birth should be celebrated as the youngest son's birth in the family. The family wishes him a talent for controlling a lot of dazzling fire.  

Now, all of them are gone; Hyakka himself remains alone because of the curse. I am surprised at what an ironic name he has. Staying as a low teen, he never has an opportunity to have his own child. Without the curse, he could have hundreds of descendants of him during the 900 years that he lives. Instead, Hyakka is alone, being surrounded by the fantastic fire that he creates. His name certainly emphasizes the beauty and sadness of his existence.

百火、孤独な少年の名

(English)

先日、高橋留美子先生の『MAO』の登場人物である百火の名前についてtweetしました。考えたことをここでもう少し書いておきます。

百火という名前は美しい。百の火! 七人も兄がいたそうなので、両親は娘を望んでいたかもしれませんが、火の術を使う家の末息子として、きっと家族に誕生を祝福されたことでしょう。 その家族もいまや誰ひとり残っていない。百火ただ一人だけ… 10:25 PM · Aug 20, 2021

登場人物の命名は重要です。名前は取替可能な記号にすぎないと考える人もいるでしょうが、かの宇宙オペラの主人公を「スカイウォーカー」(空を歩く者)と名付けたインスピレーションの重要性を、否定できる人はいないでしょう。登場人物の名前は、シンボルとして、既存文学の引用として、あるいは言葉の持つ別の意味を匂わせることによって、物語に貢献します。命名には意味があるのです。

『MAO』の主人公、摩緒の兄弟子の一人は、百火という美しい名前を持っています。漢字の「百」は数字の100を意味するとともに、物や数量、物の種類などが多い状態をも表わすので、彼の名前は「たくさんの火」を意味すると考えてよいでしょう。

また、「ひゃっか」の音は、四字熟語「百花繚乱(ひゃっかりょうらん)」の一部でもあります。百花繚乱は、さまざまな種類の花が咲き乱れる様子を表わす言葉です。百火の名前では、「か」の漢字が「花」でなく「火」なので、花の代わりにさまざまな色のたくさんの炎が、野山を、あるいは空を、花火のように埋め尽くす様子を想像してみてください。それが百火という名が想起させる光景です。

話を名前の意味に戻すと、百火の苗字である「鳳」は、聖人が生まれた時に出現するとされる中国の伝説上の雄鳥です。鳥は五行思想で火に属するため、火の術を使う百火の一族の背景と合致します。百火は兄が七人もいたそうなので(第97話)、彼の両親はもしかすると娘を望んでいたかもしれませんが、彼の誕生は火の術を使う鳳家の末息子として、きっと祝福されたことでしょう。彼の美しい名がそれを示しています。百火の家族は、彼に百火という名を授けることで、彼が多数の炎を操る才能に恵まれることを望みました。

物語の舞台である大正時代、その家族は全員とっくの昔にこの世を去り、呪いによって百火だけが生き残っています。彼の名前の皮肉さに驚かずにいられません。もし百火が呪われることなく生きていれば、900年の間に彼の子孫が百人生まれていたでしょう。しかし、永遠の少年になった彼は、年をとることも子をなすことも叶いません。名前に「百」の字を持ちながら、百火は彼自身が作り出したあまたの美しい炎に囲まれ、たった一人でいます。「おれを誰だと思ってんだ」と強がりながら。

百火という名は、彼の存在が持つ美しさと悲しさを強調しているといえるでしょう。

2021年8月23日月曜日

『MAO』第105話「刀の主」の感想と雑談

この記事は、週間少年サンデー38号に掲載された『MAO』第105話「刀の主」のネタバレを含みます。

また、私は摩緒と菜花が恋人同士になるのを望むかのような発言をときどきしますので、そういった話題が苦手な方は読まないようにお願いします(高橋先生の作品は私にとってとても大切なので、公の場であまり下品な話はしないつもりですが、許容度は人によって異なりますので、念のため書きました)。

題材としての血のエロティックさ

金物屋・冥命堂さんを訪れた摩緒たちは、地血丸が菜花の血を吸い尽くそうとしたことを報告します。冥命堂さんは、「それにしては嬢ちゃん元気だな」と菜花の様子を評し、乙弥は摩緒が菜花に血を分け与えたと説明しました。冥命堂さんは刀に紙のこよりをつけて、「自分の意思で刀を使え」るようになれと菜花に言いました。

摩緒からの輸血が成功して、菜花ちゃんが元気になってなによりでした。しかし、「つやつや」している菜花を見て、序盤から倒れそうになりました。摩緒から「すごくあたたかいものが体中に流れこんで」菜花の肌がつやつやに……。前回のお話を読んだ時の興奮が軽々と更新されてしまいました。高橋先生、ありがとうございます。

やはり血という題材自体がとてもエロティックなので、血が物語の中心に据えられているのはMAOの大きな引力のひとつだと思います。血に関係する現実世界の話題には病気や差別が絡むことが多く重苦しいですが、物語世界の血はメタファとして意味深く、魅力的です。

血は命があるかぎり体をめぐり続けるので、そっくり抜き出して他人の血と入れ替えることはなかなかできません。また、血は親から否応なしに受け継ぐものです。血には、自力で変えられない運命のような要素があると言えるでしょう。そのため、血を与えあう行為は宿命の共有を意味します。MAOではさらに、摩緒と菜花の血は猫鬼に呪われているという設定が、二人の結びつきを強調します。

その一方で、物質としての血は、皆が体に持っているけれど暴かれるまでは目に触れないという意味で、ほとんど性的とすら言えます。皮膚と血管を隔ててふだんは体内に閉じ込められている隠微さと、切れば表に噴き出して誰もに見えてしまう暴力性。そして、体の中にあってもなお皮膚を通して透けて見える特徴も忘れてはいけません。

MAOの輸血イベントは、宿命の共有が秘密裡におこなわれていると考えると、非常にエロティックです。吸血という装置を使わずに、ヒーローとヒロインの身体を血が直接行き来する設定を作った高橋先生は、やっぱり天才だと思います。

ふたつの夜

摩緒と菜花が輸血をそれぞれ回想する、ふたつの夜の場面は美しいです。ページを縦に割った大正の満天の星空と、ページを横に割った令和の控えめな星空の対比は、そのまま摩緒と菜花の心象のようです。摩緒のかたわらには乙弥がいて静かに言葉を交わしていますが、菜花の心が話す声を聞いているのは菜花自身だけ。菜花の心は摩緒で占められているのですね。がばりと起き上がったかと思えば、布団にもぐり直してブツブツとつぶやく菜花が可愛いです。本当に元気そうですね。摩緒先生はもう髪をほどく気力もないほどお疲れのようです。でも、乙弥くんには「少し疲れた」とだけ言うあたりが、摩緒先生らしいですね。

今回の菜花は血をもらう側だったからでしょうけれど、輸血イベントが恋愛のスパイスくらいの能天気さで回想されていて笑いました。摩緒のほうは、血を与えた時の恐ろしい感覚を思い出しながらも、結果として自分に起きるかもしれない報いよりも、菜花のことを真剣に思いやっていて、本当に心が温まりました。摩緒はやはりとても優しいですね。しかし、一度も強いたわけではないのに、「あんな事をさせていたのか」と反省するのは、何事も自分に責任があると感じてしまう性格なんですね。彼の美点ですが、彼を大事に思う人たちにとっては、もどかしいことでしょう。

摩緒先生にはぜひ、菜花が摩緒に血を与えた時の「吸い取られるような感じ」(5巻第5話)を体験してもなお、「摩緒が元気出たならそれでいいじゃない」(同)と言いきり、「またケガをしたら私の血をあげるよ」(同)と申し出て、実際にそうした(6巻第3話)ことも思い出してくれているといいなと思います。菜花は、自分の血が摩緒を危機から救えるのならば、ずっと摩緒のそばにいてあげたほうがいいのかとすら考えていました(5巻第2話)。菜花の摩緒への愛と献身は、摩緒が理解している以上のものだと思います。

ところで、摩緒に血を与えた時に菜花は失神していましたが、摩緒は菜花に血を与えても失神しなかったようです。摩緒先生のほうが菜花ちゃんよりも強いからでしょうか? 今後、菜花ちゃんが強くなっていったら、試合中にハイタッチするくらいの感覚で輸血できるようになったりするのでしょうか。なんだか登場人物の大怪我を期待するようで気が引けますが、次の輸血イベントも楽しみです。

双馬と蓮次

今回のお話の後半には、白眉のもとで目を覚ました双馬と、摩緒を連れ去るために不知火から再び派遣された蓮次が登場しました。

同じ敵役でも、双馬と蓮次はかなり違う描かれ方をしていて面白いですね。蓮次のほうが美形に描かれているというのは置いておいて、義の有る無しも違います。蓮次は摩緒たちと敵対はするものの、童子に乱暴をはたらいた女衒を成敗し、娼妓に小遣いを差し入れるように、他人のために行動するヒーローでもあります。一方、双馬が見せる獣への憧憬と執着はあくまでも彼個人の欲望にすぎず、いくら向上心があっても彼はヒーローになりえません。

双馬という登場人物は、なにを象徴しているのでしょうか。「獣を操りたい」というのは、自分の能力を伸ばし、特別な人間になりたいという欲望です。双馬が象徴するのは、何者かになるためなら手段を問わず、他人を愛さない人間なのでしょうか?

双馬は、家族の命よりも自分の欲を上位に置いています。もちろん、双馬は「家」の因習に囚われた被害者でもあります。加神家に伝わる獣を先祖代々の土地のようなものと考えれば、獣に対する彼の責任感も理解できなくはありません。しかし、加神家が獣とともに繁栄することが彼の第一の願いなら、弟たちのほうが双馬自身よりも出来が良い場合に、双馬は獣を渡すこともやぶさかではないはずです。しかし、双馬は「渡すものか」と、あくまでも自分で獣を使うことにこだわります。いざ弟たちへ獣を譲れと白眉にいわれた時、弟たちを害そうとしないか心配になるほどです。また、双馬は一馬に刀を向けた時も、兄を手にかけるためらいよりも、獣を受け継げる興奮のほうが勝っているように見えました。選べといわれれば、双馬は家族よりも獣を選ぶでしょう。

また、傀儡の針を摩緒に刺したように、自分の欲のために恩人を裏切ります。さらに、「白眉に命令されれば、きみは見知らぬ人を殺すか?」と摩緒に聞かれて応と答えたように、倫理よりも欲望優先です。双馬は「それで(白眉の)役に立てるなら」と言いますが、彼が白眉に忠実なのは白眉が獣の扱い方を教えてくれたからです。双馬は、獣を上手く扱いたいという欲望にどこまでも目がくらんでいるように見えます。

白眉ほど人の心の機微に敏くない摩緒は、8巻第10話で述べているように、双馬の獣に対する憧れの強さを見逃しました。双馬は摩緒の強さに憧れの気持ちを示していたので、摩緒がもし、獣にかかわってはいけないと頭ごなしに言うのでなく、上手く制御できるように指導してやるというような言い方を選んでいれば、白眉の側につかなかったかもしれません。御降家の手先になってしまった双馬を見て、摩緒は自分の対応に落ち度があったと感じながら対峙していることでしょう。摩緒のためにも双馬は最後には救済されてほしいと思います。

今回、蓮次の生い立ちが少し明かされました。「もらいっ子の家で苦労した」そうで、蓮次は孤児だったのですね。MAOのヒーローとヒロインには、両親がいないという共通点があります。蓮次もまた、ただの敵役の一人ではなく、物語の中で大きな役割を果たすかもしれませんね。

次回

あっという間に菜花が次のピンチに陥って、目が離せません。摩緒先生は前回簀巻きにされていたので、今度は大活躍するのを期待しています。

今回も面白かったです。次回も楽しみにしています。

2021年8月14日土曜日

人の美醜に言及しない現代的な主人公、摩緒

高橋留美子先生の『MAO』の主人公である摩緒は、作中の別の登場人物である蜘蛛女いわく「美男子」(1巻第4話)です。しかし、摩緒は顔に自信がある素振りを見せませんし、容姿を武器にした交渉もしません。それどころか、摩緒は人の美醜に一切言及しません

摩緒の側にいる主要な登場人物で、人の外見にコメントしたことがないのは摩緒本人だけです。たとえば、百火は紗那を「そりゃあ綺麗で」と形容し、華紋は幽羅子を「麗人だね」と言います。菜花ですら例外ではなく、真砂の美しさを想うモノローグがありました。

摩緒は少年漫画の主人公にもかかわらず、女性の見た目に対して(というより、すべての人間の美醜に対して)徹底的な無関心を貫いています。これは意図的な設定だと思います。そして、摩緒の魅力の一つでもあるでしょう。

これまでに登場人物が他人の外見について触れた台詞を見てみましょう。

  • 菜花の級友「菜花って見た目速そうなのにねー」(1巻第1話)
  • 蜘蛛女(摩緒について)「お連れの陰陽師さん…美男子ですわねぇ」(1巻第4話)
  • 乙弥「菜花さん、ちゃんと初心な女子学生に見えますよ」(1巻第8話)
  • 種彦(貂子について)「こりゃあいい女だ」(3巻第9話)
  • 百火(紗那について)「そりゃあ綺麗でやさしくて」(5巻第6話)
  • 乙弥「菜花さんかわいいですよ」(5巻第8話)
  • 華紋(幽羅子について)「麗人だね」(5巻第8話)
  • 朽縄が身を寄せる貴族の家のお嬢さん(摩緒について)「お友だちも美男子だわ」(7巻第5話)
  • 菜花「真砂さま…綺麗な女(ひと)だったな」(7巻第6話)
  • 乙弥「菜花さんかわいい」(8巻第1話)
  • 商店のおかみさん(蓮次について)「あらっ、いい男」(第92話)

(こうして並べると、乙弥の菜花への気遣いが顕著ですね。摩緒が他人から顔を褒められたのは2回です)

摩緒のセリフにもモノローグにも、外見に関する言葉は出てきません。もしかすると摩緒は、人間の表面的な美しさには、あまり価値をみとめていないという設定なのかもしれません。実際、彼が菜花を「かわいいな」(9巻第6話)と内心で評価するのは彼女の言動に対してであり、菜花が可愛らしい着物を着た時(8巻第1話)ではありません

摩緒のこういった哲学は、彼の来歴から形作られたと思います。900年以上も生きていれば、美しい人間が老いていくのを数えきれないほど見たはずです。人間の外見の儚さを実感していることでしょう。また、彼自身が人からいくら容姿を褒められても、それが豊かな人生に繋がっていないのも大きいと思います(残念ながら、摩緒は現状で幸せな人生を送っているとは言いがたい状態です)。逆に、蜘蛛女のような妖につきまとわれたり、野盗になめられて襲われたりと、端麗な顔がもたらす負の影響のほうを多く経験してきたのではないでしょうか。

一方、人の外見の美しさに執着する人物として、作中に蜘蛛女と茨木種彦が登場します。蜘蛛女は美男子の首に卵を産みつける妖で、種彦は美しい女をさらってきては犯して殺す習癖をもつ人間です。蜘蛛女は菜花によって、種彦は華紋によって、無惨に殺されます。見た目の美しさへの極端なこだわりに対する、作品自体の否定的なメッセージをも感じます。

さて、現代の社会生活では、人を口説く場面や美容の話をする場面でもないかぎり、他人の外見については言及しないのが礼儀です(少なくとも私が生活している社会では、そういうことになっています)。褒めるにしても貶すにしても、他人の見た目に評価を下して、本人や周りに伝えるのは、野蛮なこととみなされます。人の外見に言及しない摩緒は、こういった社会規範に馴染む、非常に現代的な主人公として描かれていると思います。摩緒が女性ファンからの人気が高い理由の一つかもしれませんね。

(この文章はTwitterに投稿した内容(2021年8月14日)をもとに書きました。)

2021年8月5日木曜日

『MAO』第104話「地血丸」の感想と雑談

 (この記事は、2021年8月5日にfusetterに書いた文章を写しました。週間少年サンデー36・37合併号に掲載された『MAO』第104話「地血丸」のネタバレを含みます。)

摩緒と菜花の輸血イベントは興奮しますが、あまり頻繁だと有り難みがないし、二人の身体が心配なので、やはり1年から1年半に1回くらいで十分です。

今回は摩緒から菜花に血を与える場面があり、心が大変温まりました。高橋先生、ありがとうございます。もはや猫鬼が縁結びの神様かなにかに思えてきます。それは冗談ですが、Rebssonさんの「ジャンキーが注射針を使い回すように彼らはすでに血を共有している」という最高のコメントを思い出しては笑っています。摩緒は血液が媒介する感染症についてあまり気にしていなさそうですね。MAOの作品世界に血が不衛生という概念はないのかもしれません。摩緒と菜花の血液型が同じかもあやしいところです。なんでもありでよいと思います。

双馬が操る獣と対峙した菜花は、御降家の呪具と判明した呪いの刀、地血丸(あかねまる)を手に闘います。菜花が地血丸で獣を斬ると、刃から菜花自身の血が吹きこぼれ、猫鬼の呪いによる毒の血が獣を傷つけて、回復不能にします。戦闘を続けるうちに、菜花は地血丸に血を奪われすぎて気絶してしまいますが、それでも刀は止まりません。気絶した菜花に握られたまま、刀は双馬に斬りかかろうとします。

菜花がどの瞬間に気絶したのかわかりませんが、彼女が獣に向かって「勝てる!」と叫んだコマでは、まだ意識があって動いていたと思います。菜花が戦闘中、有利を確信して勝利を宣言するのはこれが初めてです。前回まで、敵に立ち向かう菜花を格好いいなと思いながら見守っていましたが、予想を超えて(文字通り)血気盛んなヒロインになってきて、ぞくぞくしました。

思えば菜花は最初から、かなり直情的に動く子でした。第一話を思い出してください。摩緒から「おまえ妖だろう」といわれた菜花は、一言も喋らずに席を立って去ろうとします。たしかに摩緒の風体は怪しいですが、いちおう自分の腕のケガを治療してくれた年長の男性であり、その人が真剣に話をしているのです。これがもし、たとえば高橋先生の別作品のヒロイン、真宮桜なら、摩緒の話をとりあえず最後まで聞いてあげたことでしょう。心のシャッターを下ろした相手に対して、菜花は非常に率直に接します。その一方で、大事に思っている人々に対しては必要以上に遠慮をする面もあり、振る舞いの生々しさが読んでいて面白いです。

第一話以来初めて、目を開いて気絶した菜花の顔が描かれました。菜花の気持ちを考えると、あの無防備な顔を双馬に晒してしまったのは、少しかわいそうに思いました。

気絶中の菜花が振るった地血丸を、双馬はあやういところで避けます。刃は地面に刺さり、毒の血がほとばしって、飛沫を浴びた双馬の服や皮膚が焼けます。菜花がふたたび刀を振り下ろそうとしたところで、摩緒が菜花を抱きかかえて動きを止め、刀を取り落とさせました。

摩緒や菜花の毒の血が妖怪を傷つけたり、摩緒の血が不知火を傷つけたりしたことはありましたが、菜花の血が普通の人間を傷つける描写は今回が初めてだと思います。五色堂の関係者でなくても、猫鬼の毒の血で人間が傷つくとわかりました。陥没事故の時に救急隊のグローブが溶けたのは、あくまでも菜花がかぶった猫鬼の血の効果か、それとも菜花に流れる血にも同じ効果があるのかと疑問に思っていましたが、おそらくどちらも同じ効果があるのですね。

菜花を止めた摩緒は、双馬を助けようとした部分もあったでしょうが、菜花に双馬を殺めさせたくない気持ちがあったのではないかと思いました。双馬に「どうして止めたんですか」と聞かれた摩緒は、単純な怒りではない、軽蔑というか嫌悪というか、ふだんあまり見せない表情を双馬に向けました。

摩緒の生死や命についての価値観は非常に興味深いです。前回、摩緒は双馬に「ひとつだけ聞いておく」と前置きし、「白眉に命令されれば、きみは見知らぬ人を殺すか?」と尋ねました。摩緒は「覚悟を聞いている」と言い、双馬が「できますよ」と返すと、「残念だ」と会話を切り上げました。御降家に加担することへの間接的な引き止めでしたが、摩緒は双馬に刀を向けるかどうかの判断のために質問を使った部分もありそうです。

摩緒は、呪いや暗殺に対する忌避をみるかぎりでは(たとえば華紋さまあたりとくらべると)かなり倫理的な人物として描かれています。セリフで摩緒の価値観に直接触れられることは少ないですが、過去に百火との会話のなかで「私は人殺しはちょっと」と言葉を濁しました。また、8巻第4話「獣」では、兄に刀を向けた理由を双馬に確認しようとする際に、双馬の事情を斟酌する同情的な態度を見せました。しかし、第99話「護り刀」では叶枝を斬るのもやむなしという口ぶりだったように、現代人の菜花や読者の感覚からすれば、やはり摩緒はそれなりに物騒な思想をしていると思います。

殺された人を目にするのが当たり前だった捨童子の家や御降家にいた時代から、乱世を経て、おそらく人も妖も何度も手にかけて生きてきたであろう摩緒にとって、大正は治安がよい時代に見えているのでしょうか。もっとずっと平和な令和から来た菜花ちゃんが、人を手にかけることなく最終回まで完走できるよう、摩緒先生にがんばっていただきたいです。

御降家の人間の助けを借りて、双馬は逃げ去ります。摩緒は、己の手のひらを破軍星の太刀で切り、菜花の手を握って血を与えます。

ここで摩緒が恋人つなぎをするものですから、心が温まりすぎて私は思わずむせました。望月さんが、菜花の手の温もりを確かめている気もするとおっしゃっているのを見て、たしかにそういった気遣いもありそうと感心し、さらに心が温まりました。と同時に、もし相手が百火でも摩緒はその手の握り方をしただろうかと考えてみると、もうこの上なく心が温まりました。本当にありがとうございます。

それはそうと私が猫鬼に言いたいのは、輸血に関する肝心の情報を菜花(とわれわれ)にそろそろ教えてほしいということです。猫鬼は菜花に思わせぶりに、「これ以上摩緒に与え続ければおまえは…」としか言っていません。話が途中です。「おまえは歌が上手くなる」とか「マタタビなしには生きられなくなる」とかではないでしょうが、寿命が削られるとは一言も言っていません。それはあくまでも摩緒と菜花の推測です。仮に寿命が減るにしてもどれくらい減るのか。一回の輸血で10年減るのか、ひと月減るのかで、重大さが異なります。今週の摩緒先生は、菜花に血を「少し分けてやらないと」とおっしゃっていました。与える量を加減できるのか? 回数でなく分量によって影響は変化するのか? 興味はつきません。

そもそも、摩緒が菜花に血を与えることができるのは少し意外でした。輸血は菜花から摩緒への一方通行かもしれないと私は思っていました。過去の輸血イベントの際に「与える者」と題された章があり、一方的な印象を受けたのと、第100話で地血丸に吸われた摩緒の血の毒が菜花の中に入るのを忌避したかのように読める描写があったからです。さらにいえば、摩緒先生が、菜花は自分に血を与えて助けてくれるのに、自分は同じ方法で菜花を救えないのだ、と苦い思いをするのも、ドラマがあって良いなあと思っていました。その状態だと、摩緒が菜花を守ろう、または鍛えようとする動機が強まります。もちろん、お互いにお互いのバッテリーになれたほうが対等で爽やか(?)ですし、助け合う姿に心が温まるので、双方向の輸血は大歓迎です。

終盤、摩緒は菜花に血を与えながら、やはり呪いの刀は菜花には危険すぎると述懐します。

とはいえ、摩緒が菜花から地血丸を取り上げるのは難しいだろうと思います。双馬との闘いで摩緒は完全に足止めされました。もし地血丸がなければ、菜花は大怪我を負ったか、最悪殺されていたでしょう。

摩緒「おまえが持つには地血丸は危険すぎる…やはり私が持とう」
菜花「はあ? また敵が現れたらどうするの? 黙ってやられろって!?」

という話になってしまいます。なってもいいですね。ケンカしてデートして仲直りしましょう。また、摩緒は菜花に戦い方を教えたいと言うように菜花の自立を願っているので、「私がお前を守る」とは早々口にしないと思います。犬夜叉とは随分違います。

双馬の獣は回復不能になりましたが、例の巻物も壊れたのでしょうか。巻物を修復すれば獣も戻るのでしょうか。双馬を派遣した白眉が、菜花が思ったより厄介な相手だと気づいた後、どう行動するか気になります。双馬くんは菜花への逆恨みを拗らせて、もっともっと面倒くさい人間になって、ぜひ再登場してほしいと思います。

今週も面白かったです。次回も楽しみにしています。

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